バイデンの一般教書演説について I

これは、Caitlin Johnston さんの Saying “Hamas Just Needs To Surrender” Is Saying “We’ll Kill Kids Until We Get What We Want”の翻訳です。直訳すると、「ハマスが降伏すればいいだけ」と言うのは、「欲しいものを手に入れるまで子供を殺す」ということだというような意味です。

この記事で、Caitlin Johnston さんは、今年2024年の3月7日、バイデン米大統領が一般教書演説の中で、イスラエルのパレスチナ人虐殺に関して語ったことについて書いています。

約1時間の演説を僕も聞きました。ウクライナとパレスチナに関する部分以外は、全てアメリカ内政に関するものです。だから、演説のほとんどの部分はアメリカ国民以外の人間にとっては、どうでもいいことと言えるかもしれませんが、間接的にはどうでもよくないこともあります。

今年は大統領選挙のある年なので、”バイデン対トランプ”という図式の中でこの演説を評価しがちですが、一般教書演説は大統領から国民に対する報告であり、それはそれ自体評価されるべきものです。

一般教書演説

一般教書演説は、原語では State of the Union Address というものです。しばしば略して、SOTU と書かれます。ここで使われているstate は状態という意味です。address が演説に相当します。では、the Union とは何か。The Union という概念自体は、アメリカ憲法よりも、独立宣言よりも古いものです。

1774年、アメリカ大陸にある13の植民地が同盟規約(Articles of Association)を結び、連合(the Union)が結成されます。その2年後の1776年7月4日に独立宣言が発表されます。

その後、連合および永遠の連合規約(Articles of Confederation and Perpetual Union)が、1777年に採択され、その規約は1781年に13の植民地全ての承認を得ます。この規約によって、13の植民地(後の州)は、永遠に連合に属すことが約束されます。この規約で、United States of America (USA)が正式に使われます。

三年間に渡る憲法制定会議の議論を経て、ようやく1787年にアメリカ合衆国憲法が制定され、1790年すべての州がアメリカ合衆国憲法を批准しました。これによって、連合規約の効力は消滅します。つまり、現時点でthe Union が具体的に意味するのは、アメリカという国そのもののことです。

  • 1774年:同盟規約(Articles of Association)
  • 1776年:独立宣言
  • 1777年:連合および永遠の連合規約(Articles of Confederation and Perpetual Union)採択
  • 1781年:連合および永遠の連合規約(Articles of Confederation and Perpetual Union)承認
  • 1787年:アメリカ合衆国憲法制定
  • 1790年:アメリカ合衆国憲法批准

1790年に13州すべてが批准したアメリカ合衆国憲法には、次のような条文が含まれていました。

The President shall from time to time give to the Congress Information of the State of the Union, and recommend to their Consideration such measures as he shall judge necessary and expedient. Article II, Section 3, Clause 1.
(大統領は、議会に対し、随時、連邦の状態に関する情報を提供し、必要かつ適切であると判断する措置を議会に勧告するものとする。第2条第3節第1項。)

これが、大統領が毎年、一般教書演説(State of the Union Address)をする根拠になるものです。つまり、アメリカ憲法が大統領に対して、アメリカという国の状態(the State of the Union)を(国民の代表である)議会に報告しなさいと言ってるのです。

これに従い、初代大統領ジョージ・ワシントンが1790年、アメリカ史上最初の一般教書演説を行いました。一般教書演説と書きましたが、その頃は、the Annual Message と呼ばれていました。The State of the Union Address と呼ばれようになるのは、第二次世界大戦後の1946年からです。

一般教書演説を大統領を二期務めたジョージ・ワシントンは8回、一期だけの第二代目大統領のジョン・アダムスは4回行いました。彼らは盛大に議会に臨み、自らメッセージを読み上げました。

ところが、第3代目大統領のトーマス・ジェファーソンは一般教書演説をやめてしまいました。ジャファーソンは、憲法を起草した中心人物であり、卓越した文章の書き手として知られていましたが、口ベタだったようです。しかし、あれほどの知性の持ち主がそれだけの理由で憲法が要求する大事な仕事をやめるなんてことは言い出さないでしょう。

彼は、こういう華々しい演説は、まるで英国君主が王座から議会を開会して行う演説みたいで、やっと英国という君主制国家の圧政から独立して共和政国家を開始したアメリカにふさわしくないと考えたのです。

これは当時の状況を考えると、非常に説得力のある説明です。1774年の同盟規約から、1776年の独立宣言、1781年の連合規約の採択、1790年のアメリカ合衆国憲法の批准まで、13個の植民地の連合に過ぎなかったアメリカの卵のようなThe Union が、とうとうUnited States of America という連邦国家を形成する過程で、彼らが最も恐れていたのが各州の上位で中央集権化する連邦政府の行政権だったのです。つまり、大統領です。

当時は、各州が憲法を持ち、それが連合の決めることよりも上位にあり、通貨もバラバラ、関税もバラバラ、司法もバラバラ、外交もバラバラでどこで戦争が起きるか分からない状態でした。これでは敵が攻めて来たら守ることが出来ない、13州で力を合わせて経済も軍事も強い国になる必要があるという共通の認識で妥協して出来たのが、アメリカ憲法であり、アメリカ合衆国でした。(余談ですが、憲法制定会議の議事録は今も残っていて、それを読むとアメリカという国が出来る瞬間を体験するようで、下手な小説読むより興奮します。

なんか分かりにくいことを書いてるかもしれませんけど、今のヨーロッパ連合(European Union)を想像するとピンと来るかもしれません。アメリカ建国史では同盟規約と連合規約の頃の植民地であるstate を「邦」と訳したり、その後「州」と訳したりするのが慣行のようですけど、「国」という訳語を当てると、創成期のアメリカは現在のヨーロッパのように13の国がある地域で、それぞれが主権を維持していたと言えます。そして、その13の主権国家が同盟を作り、連合を作り、やがて一つの大きな連邦国家であるUnited States of America を作ったと。

ヨーロッパ連合がこの先どうなっていくのか分からないですが、United States of Europe になるという方向もあるかもしれないし、あるいはUnited States of Africa とか、United States of Asia というかたまりが何百年か先にあるかもしれないし、その前に人類は地球を潰してしまうかもしれないし…。この辺は空想の世界です。

ジェファーソンが一般教書演説をやめた話からだいぶ逸れてしまった。彼は演説の代わりに、The Annual Message を文書として送るという新たな前例を作りました。憲法は演説しろとは言ってない。国の状態についての情報を提供しろと言ってるだけなので、文書でも構わないわけです。

ジャファーソンが始めたこのやり方がその後112年間続きます。つまり、112年間、一般教書演説はなく、歴代米大統領は毎年報告書(the Annual Messagea)だけを議会に送っていたのです。

この1世紀を越える慣習をぶち壊したのが、第一次世界大戦末期、レーニンの「平和に関する布告」に対抗して「十四か条の平和原則」を発表し、国際連盟の創設を提唱した、あのウッドロー・ウィルソンです。彼は長い間、リーダーシップを発揮する秘訣は、演説力を駆使して公共の利益になることを周囲に納得させることであると考えていました。彼は、演説によって国民の想像力をかきたて、政策を実現する勢いを与え、政権の新たな基調を打ち立てることを期待したのです。

この展開はとても味わい深いです。ジェファーソンとウィルソンは真逆の方向に行くわけですけど、彼らは二人とも”演説”というものの威力を認識していたという点で共通していると思います。ここからは、勝手な想像ですが、彼らは二人とも古代ギリシャや古代ローマの学識を身につけた教養人だったのだろうと思います。

古代から中世にかけてのヨーロッパでは、弁論や演説を含む修辞学が一つの学問分野としてとても重要なものでした。公共の場で人々に語りかけることによって説得することの威力が認識され、研究され、実践されてきたのです。紙に書いたものを読み上げるのは演説でもなんでもありません。人間の機械化です。日本でも明治期まで遡れば、ジェファーソンやウィルソンに匹敵するような、古今東西の学識が豊かな教養人はいましたが、今は絶滅危惧種(済?)でしょう。しかし、これは世界的な傾向なのかもしれません。

ジャファーソンが、生まれたばかりの国の行政の長が出しゃばり過ぎると国民に恐怖を引き起こすと危惧したのも、ウィルソンが演説の力で国民を引っ張っていけると期待したのも、二人が演説の威力を同様に深く認識していたからだろうと思います。幸い、今の日本には本当の演説などありませんから、心配も期待も必要ありません。

バイデンの一般教書演説

アメリカ内政に関して、バイデンは様々なトピックに触れていきますが、自分がいかにアメリカをよくしたかということをしばしば前任者(トランプ)を引き合いに出して自慢していきます。この部分に関しては直ぐにファクト・チェックが複数出てきて、必ずしも正確ではないことが分かります。

”アメリカは落ちぶれていない、アメリカは素晴らしい!”とアメリカ国民を鼓舞することが全体の基調になってます。これはアメリカらしいところで、そうでなければアメリカ国民はついていかないでしょう。

いや、アメリカというよりも、国のリーダーはそうあるべきでしょう。だから、バイデンも当然良いリーダーであるということを見せなければいけない。そういう意味では、バイデンは1時間の演説をテレプロンプターを読み間違えることもなく、ほぼ間違いなくやりきったし、高齢を危惧する声を吹き飛ばすかのように最後まで威勢の良さを崩さなかったのでリーダーとしての任務をやり遂げたと思います。(あれはクスリのせいだという記事も出ていましたけど、いちゃもん記事のように見えます。)

外交に関して、バイデンは二つの戦争について言及します。そこで、バイデンはプーチンを糾弾し、ハマスを糾弾します。ウクライナの戦争に関して徹底的に好戦的な発言を繰り返して莫大な資金を提供する成果を上げてきたのがバイデンであることも、イスラエルに武器、弾薬、資金を注ぎ込んで点数を稼いでいるのがバイデンであることも世界中が見てきたことです。でも、戦争が終わらないのは、プーチンのせいであり、ハマスのせいであるというのが彼の言い分です。

1時間の演説にたくさんのトピックが詰め込まれていますが、全体の構成はシンプルです。下のように四つの部分に分けられます。全体が長くなるのは、⑵の部分が長いからです。

⑴悪者を糾弾する(プーチン)
⑵アメリカ国民を鼓舞する(オレの成果は凄いだろ、アメリカは正しい)
⑶悪者を糾弾する(ハマス)
⑷アメリカ国民を鼓舞する(アメリカは凄い、オレは凄いぞ)

悪者を特定し糾弾することと、自画自賛することを繰り返すのは既視感があると思います。トランプです。トランプの演説は全てこのサイクルを繰り返します。その場その場のノリで、アドリブでこれを繰り返して、まるでボレロのようにクライマックスに持って行きます。トランプは、それを原稿も楽譜もなしで彼特有の直感でやっているようです。

バイデンがトランプと同じ型の人間であると言いたいわけではありません。全然違うと思います。しかし、彼らの修辞学は結局同じなのです。悪者であると想定した他者を攻撃することと、自画自賛を繰り返すことで、聞いているものを気持ちよくさせることが出来るだろうという驕りが根底にあります。いったいアメリカ国民の何割がそれほど浅はかだとバイデン政権は想定しているのかは分かりませんが、選挙に勝てるくらいという勘定なのかもしれません。

バイデンの演説は、State of the Union 、つまりアメリカの置かれた状況をアメリカ国民に正確に伝えていません。国民を鼓舞することと、甘い言葉で誤魔化すのは全然違います。平均的日本人が世界を知らないくらい、平均的アメリカ人も世界を知りません。だからこそ、大統領にはアメリカが世界で今どんな状態なのか、どんな位置にいるのかを伝えなければいけないのですが、バイデンはそこを完璧にミスりました。

衝突する利害がある、衝突する理想がある、しかし、私はアメリカのために、○◯の道を選んだというような思想的決算をする場が本来の一般教書演説だろうと思います。なにせ国民にState of the Unionを伝えなけれいけないのですから。しかし、バイデンは他者攻撃と自画自賛、そして現実直視の回避というトランプと同じ修辞学を選びました。

バイデンを、あるいはトランプを貶そうとしているのではありません。これが今のアメリカなのだ、あるいはアメリカが代表する社会の現状(the state)なのだと感じたということです。競争相手の商品を貶し、自画自賛で自分の商品を売り込むというのは、バナナの叩き売り論理です。その程度の演説しか出来ない人間たちがアメリカのリーダーになろうとして競争している。

アメリカの凋落という話が最近は頻繁に出るようになりましたが、それは経済力の相対的弱体化や、外交における失策の連発に限られる話ではないと思います。むしろ、こういうところ — 例えば、一般教書演説における圧倒的な幼稚化 — にアメリカの本当の凋落が現れている。ジェファーソンやウィルソンが100年以上かけて築きかけてきたmoral high ground を、アメリカは次の100年をかけて食い潰し、破壊してしまった。

バイデンの話が終わって、音のしない止まった画面をしばらく見ながら、色の無い世界で冷たいベンチに一人で座っているような気分になりました。遠くから聞こえる子どもたちの歓声が聞こえているような気がしましたが、たぶん幻聴でしょう。

参考動画

アメリカ大統領にとって、一般教書演説というのは一番重要な演説と言ってよいと思います。日本で強いて同様のものをあげるとすれば、通常国会の最初に行われる内閣総理大臣の施政方針演説でしょう。両方の動画を下に載せておきます。時間があれば聞き比べて下さい。日本にとって最も重要な同盟国の大統領の最も重要な演説なのだから、どこかにバイデンの一般教書演説の全訳があるだろうと思って探してみましたが、まだ見つかっていません。

バイデン米大統領の一般教書演説(2024年)

岸田首相の施政方針演説(2024年)

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