- 2024-04-10
- 2024-04-12
バイデンの一般教書演説について I
これは、Caitlin Johnston さんの Saying “Hamas Just Needs To Surrender” Is Saying “We’ll Kill Kids Until We Get What We Want”の翻訳です。直訳すると、「ハマスが降伏すればいいだけ」と言うのは、「欲しいものを手に入れるまで子供を殺す」ということだというような意味です。 この記事で、Caitlin Johnston さんは、今年2024年の3月7日、バイデン米大統領が一般教書演説の中で、イスラエルのパレスチナ人虐殺に関して語ったことについて書いています。 約1時間の演説を僕も聞きました。ウクライナとパレスチナに関する部分以外は、全てアメリカ内政に関するものです。だから、演説のほとんどの部分はアメリカ国民以外の人間にとっては、どうでもいいことと言えるかもしれませんが、間接的にはどうでもよくないこともあります。 今年は大統領選挙のある年なので、”バイデン対トランプ”という図式の中でこの演説を評価しがちですが、一般教書演説は大統領から国民に対する報告であり、それはそれ自体評価されるべきものです。 一般教書演説 一般教書演説は、原語では State of the Union Address というものです。しばしば略して、SOTU と書かれます。ここで使われているstate は状態という意味です。address が演説に相当します。では、the Union とは何か。The Union という概念自体は、アメリカ憲法よりも、独立宣言よりも古いものです。⑴ 1774年、アメリカ大陸にある13の植民地が同盟規約(Articles of Association)を結び、連合(the Union)が結成されます。その2年後の1776年7月4日に独立宣言が発表されます。 その後、連合および永遠の連合規約(Articles of Confederation and Perpetual Union)が、1777年に採択され、その規約は1781年に13の植民地全ての承認を得ます。この規約によって、13の植民地(後の州)は、永遠に連合に属すことが約束されます。この規約で、United States of America (USA)が正式に使われます。 三年間に渡る憲法制定会議の議論を経て、ようやく1787年にアメリカ合衆国憲法が制定され、1790年すべての州がアメリカ合衆国憲法を批准しました。これによって、連合規約の効力は消滅します。つまり、現時点でthe Union が具体的に意味するのは、アメリカという国そのもののことです。 1790年に13州すべてが批准したアメリカ合衆国憲法には、次のような条文が含まれていました。 The President shall from time to time give to the Congress Information of the State of the Union, and recommend to their Consideration such measures as he shall judge necessary and expedient. Article II, Section 3, Clause 1.(大統領は、議会に対し、随時、連邦の状態に関する情報を提供し、必要かつ適切であると判断する措置を議会に勧告するものとする。第2条第3節第1項。) これが、大統領が毎年、一般教書演説(State of the Union Address)をする根拠になるものです。つまり、アメリカ憲法が大統領に対して、アメリカという国の状態(the State of the Union)を(国民の代表である)議会に報告しなさいと言ってるのです。 これに従い、初代大統領ジョージ・ワシントンが1790年、アメリカ史上最初の一般教書演説を行いました。一般教書演説と書きましたが、その頃は、the Annual Message と呼ばれていました。The State of the Union Address と呼ばれようになるのは、第二次世界大戦後の1946年からです。 一般教書演説を、大統領を二期務めたジョージ・ワシントンは8回、一期だけの第二代目大統領のジョン・アダムスは4回行いました。彼らは盛大に議会に臨み、自らメッセージを読み上げました。 ところが、第3代目大統領のトーマス・ジェファーソンは一般教書演説をやめてしまいました。ジャファーソンは、憲法を起草した中心人物であり、卓越した文章の書き手として知られていましたが、口ベタだったようです。しかし、あれほどの知性の持ち主がそれだけの理由で憲法が要求する大事な仕事をやめるなんてことは言い出さないでしょう。 彼は、こういう華々しい演説は、まるで英国君主が王座から議会を開会して行う演説みたいで、やっと英国という君主制国家の圧政から独立して共和政国家を開始したアメリカにふさわしくないと考えたのです。 これは当時の状況を考えると、非常に説得力のある説明です。1774年の同盟規約から、1776年の独立宣言、1781年の連合規約の採択、1790年のアメリカ合衆国憲法の批准まで、13個の植民地の連合に過ぎなかったアメリカの卵のようなThe Union が、とうとうUnited States of America という連邦国家を形成する過程で、彼らが最も恐れていたのが各州の上位で中央集権化する連邦政府の行政権だったのです。つまり、大統領です。 当時は、各州が憲法を持ち、それが連合の決めることよりも上位にあり、通貨もバラバラ、関税もバラバラ、司法もバラバラ、外交もバラバラでどこで戦争が起きるか分からない状態でした。これでは敵が攻めて来たら守ることが出来ない、13州で力を合わせて経済も軍事も強い国になる必要があるという共通の認識で妥協して出来たのが、アメリカ憲法であり、アメリカ合衆国でした。(余談ですが、憲法制定会議の議事録は今も残っていて、それを読むとアメリカという国が出来る瞬間を体験するようで、下手な小説読むより興奮します。) なんか分かりにくいことを書いてるかもしれませんけど、今のヨーロッパ連合(European Union)を想像するとピンと来るかもしれません。アメリカ建国史では同盟規約と連合規約の頃の植民地であるstate を「邦」と訳したり、その後「州」と訳したりするのが慣行のようですけど、「国」という訳語を当てると、創成期のアメリカは現在のヨーロッパのように13の国がある地域で、それぞれが主権を維持していたと言えます。そして、その13の主権国家が同盟を作り、連合を作り、やがて一つの大きな連邦国家であるUnited States of America を作ったと。 ヨーロッパ連合がこの先どうなっていくのか分からないですが、United States of Europe になるという方向もあるかもしれないし、あるいはUnited States of Africa とか、United States of Asia というかたまりが何百年か先にあるかもしれないし、その前に人類は地球を潰してしまうかもしれないし…。この辺は空想の世界です。 ジェファーソンが一般教書演説をやめた話からだいぶ逸れてしまった。彼は演説の代わりに、The Annual Message を文書として送るという新たな前例を作りました。憲法は演説しろとは言ってない。国の状態についての情報を提供しろと言ってるだけなので、文書でも構わないわけです。 […]